土 佐 日 記 ![]()
土佐日記は平安時代前期に成立した日記文学で、作者は紀貫之です。延長8(930)年、貫之は土佐守となり任地に赴任しました。その任期は承平4(934)年に終わります。「土佐日記」は承平4年12月、国司の館を出発してから、京の自邸に着くまでの55日間にわたる旅日記となっています。
「土佐日記」はひらがなで書かれた最初の日記文学です。それまでの日記は公的立場の男性が政務や行事の記録を漢文で書くというものでした。そのため類型的な表現に制約されがちでした。仮名文字が発達したことで、自由に思うままを国語で表記することが可能になり、文学は大きく発展することになりました。「土佐日記」は従来の記録的性格の強い「日記」の枠を越えて、「日記文学」という新しい文学の領域を創造したのです。
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ぼろの出で立ちいそぎを見れど | てにはかに失せにしかば |
京にてうまれたり し女児童国に |
てこぎ出づ |
廿七日 |
〜「土佐日記」ダイジェスト〜
「門出」 問題演習へ 「三笠の山に出でし月」 |
出典:CEC、IPA「教育用画像素材集サイト」 http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/ より |
※左の画像にカーソルを置くと、ビデオが始まります。(音声解説があります。音量を最大にしてください。) 【 土佐国府の碑】紀貫之は足かけ五年、ここ土佐国府に土佐守として赴任していました。そして承平四年(934年)任期を終えて土佐から船で京の都に向かいます。画像は南国市比江にある土佐国府跡の碑です。 |
| 「忘れ貝」 問題演習へ 2月4日。船頭は天気が悪くなるので出航できないと言ったのですが、一日中平穏でした。ある人が、亡き児の面影をしのんで、歌を詠みました。忘れてしまいたいといったり忘れずにいたいと言ったり、全く親心というのは愚かなものです。何日も同じ所にいなければならない慰めに、ある人が歌を読みました。 「帰京」 問題演習へ |
とぞよめりける |
三笠の山に出でし月かも |
青海原ふりさけ見れば春日なる | にはよむ |
喜びもあり |
も |
も詠んたび いまは上中下の人 |
国にかかる歌をなむ |
これを見てぞ仲麿の主 |
その月は海よりぞ出でける |