方 丈 記

 方丈記は鎌倉時代初期に成立した随筆で、作者は鴨長明です。前半では安元の大火・治承の辻風・養和の飢饉など、天災地変による人心の動揺や人間生活のはかなさを、後半では日野山に方丈の庵を結び、閑居の中で安静を得た心境を、流麗な和漢混淆文で述べています。長明には他に、仏教説話集「発心集」、歌論「無名抄」があります。
 うち続く戦乱の醜さに耐えられず世を捨てて、無常を悟り仏に救いを求めた人々は、かえって自由に現実を見つめ、優れた文学を生み出しました。鴨長明もその一人です。他には西行兼好法師などがいます。彼らによる作品を総称して「隠者文学」といい、江戸時代に俳諧を確立した松尾芭蕉は、彼らの影響を色濃く受けています。

houjyou.gif (7309 バイト) たる例なし
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結びてtouten.gif (832 バイト)久し
くとどま
たかたはtouten.gif (832 バイト)
かつ消えかつ
あらず
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淀みに浮かぶう


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しかも
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もとの水に
 ゆく河の流れは絶えず

〜「方丈記」ダイジェスト〜

「ゆく川の流れは」
 川の流れがいつも同じ所にとどまらないように、京の町に存在する家も人も、表面上変化していないようだが、実際にはとどまることなく変化しているようだ。家は滅び、人は死に、また新たに家は建ち、人は生まれる。このような生々流転の繰り返しが世の常である。

「また養和のころとか」 問題演習へ
 養和年間、二年に渡って天災が続き、穀物が収穫できずに、世間は大飢饉に見舞われた。加持祈祷も行われたが効果なく、都は平常な姿が保てなくなった。寺の建物、器物までも破壊して売るものが出るというありさまだった。

「また同じころかとよ」 問題演習へ
 養和の飢饉と同じ頃、都は大地震に襲われた。お堂や塔もことごとく被害に遭い、大地も割れた。地震の後人々はしばらくの間この世の無常を嘆いたが、年を重ねるうちに地震の恐ろしさを忘れてしまったようだ。 

「ここに六十の露消えがたに」
 60歳になってから再び家を造ったが、その家は全く簡便で、いつどこへでも引っ越せる、組み立て自在の家である。広さもわずか一丈四方。高さも七尺に満たない仮小屋であった。

「おほかた、この所に住みはじめし時は」
 ほんのちょっとと思っていた日野山の生活も、もう五年が経過した。都では多くの人が亡くなったらしい。火災で多くの家も焼失しただろう。それに比べ我が家は全く安全、私の心にぴったりかなっている。世間では自分のためではなく財宝や牛馬のために家を造ることもあるようだが、私の家は私のために造ったのである。

「そもそも、一期の月影かたぶきて」
 余命いくばくもないこのときに、何を嘆くのか。仏の教えは執心を捨てよというものだ。私が方丈の庵を愛し、閑居の気味にこだわるのも罪業だろうか。

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