11 恩讐の彼方に   

学習のポイント

 実之助が的の了海をどうして討とうとしなかったのか、その理由を、2人が後半に向かってどのような点で違った人物として描き込まれているかに注目して考えましょう。辞典にも出ていない難しい語もありますが、できる範囲で言葉を調べておきましょう。

 

 彼は、もう刳貫の竣成を待つといったような、敵に対する緩やかな心を全く失ってしまった。…(中略)…
 実之助は、足を忍ばせて潜かに洞門に近づいた。削り取った石塊が、所々に散らばって、歩を運ぶ度毎に足を痛めた。
 洞窟の中は、入口から来る月光と、所々に刳り明けられた窓から射し入る月光とで、所々ほの白く光っているばかりであった。彼は右方の岩壁を手探り手探り奥へ奥へと進んだ。
 入口から、二町ばかり進んだ頃、ふと彼は洞窟の底から、クワックワッと間を置いて響いて来る音を耳にした。彼は最初それが何であるか判らなかった。が、一歩進むに従って、その音は拡大して行って、おしまいには洞窟の中の夜のa セイジャクの裡に、こだまする迄になった。それは、明らかに岩壁に向って鉄槌を下す音に相違なかった。実之助は、その悲壮な、凄みを帯びた音に依って、自分の胸が烈しく打たれるのを感じた。奥に近づくに従って、玉を砕くような鋭い音は、洞窟の周囲にこだまして、実之助の聴覚を、猛然と襲って来るのであった。彼は、この音をたよりに這いながら近づいて行った。この槌の音の主こそ、敵了海にb ソウイあるまいと思った。ひそかに
 一刀の鯉口を湿しながら、息を潜めて寄り添うた。その時、ふと彼は槌の音の間々にc 囁くが如く、うめくが如く、了海が、経文を誦する声を聞いたのである。
 そのしわがれた悲壮な声が、水を浴びせるように実之助に徹して来た。深夜、人去り、草木眠っている中に、ただ
 暗中に端坐して鉄槌を振っている了海の姿が、墨の如き闇にあって尚、実之助の心眼に、歴々として映って来た。それは、もはや人間の心ではなかった。喜怒哀楽の情の上にあって、ただ鉄槌を振っている勇猛精進の菩薩心であった。実之助は、握りしめた太刀の柄が、何時の間にか緩んでいるのを覚えた。彼はふと我に帰った。既に仏心を得て、衆生の為に、砕身の苦しみを嘗めている高徳の望に対し、深夜の闇に乗じて、ひはぎの如く、獣の如く、瞋恚の剣を抜きそばめている自分を顧みると、彼は、強い戦慄が身体を伝うて流れるのを感じた。
 洞窟を揺るがせるそのカ強い槌の音と、悲壮な念仏の声とは、実之助の心を散々に打ち砕いてしまった。彼は、d 潔く竣成の日を待ち、その約束の果たさるるのを待つより外はないと思った。
 実之助は、
 深い感激を懐きながら、洞外の月光を目指し、洞窟の外に這い出たのである。

 

問1 傍線部a〜dのカタカナを漢字に直し、漢字は読み方を書きなさい。(本文中のカタカナをクリックすると答えが出ます)

問2 傍線部1「一刀の鯉口を湿しながら、息を潜めて寄り添うた」とあるが、このときの実之助の心情としてもっとも適当なものを選び、記号で答えなさい。正解

ア 殺意を抱いている            イ 殺意を失っている
ウ どうしてよいか迷いが生じている    エ 敵討ちの無意味さに絶望している 

問3 傍線部2「暗中に端坐して鉄槌を振っている了海の姿」を簡明に表している部分を十字以内で抜き出しなさい。正解

問4 傍線部3「深い感激」と同義の語を文中から五字以内で抜き出しなさい。正解

問5 この作品は菊池寛「恩讐の彼方に」である。同じ作者の作品を次から選び、記号で答えなさい。正解

ア 野火   イ 父帰る   ウ 海と毒薬   エ 歯車

 

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