延命院の将門山

1.<摂関政治>

 9〜10世紀、他氏族との抗争に勝利した藤原北家は、摂政・関白の地位を独占していわゆる摂関政治を確立させた。しかし、宮廷内での権力抗争の一方で、貴族たちの政治への関心は低下し、遣唐使も廃止された。

2.<国風文化>

 平安初期の弘仁・貞観文化は唐の文化が色濃く反映されたが、10世紀以後、文化の傾向は大きく変化し、いわゆる国風化が展開する。これは旧来の文化がより洗練されることであった。神仏習合・浄土教の発達もこの時代のもう一つの特徴である。

3.<荘園と武士>

 平安時代中期、古代国家は大きな曲がり角を迎える。律令制による支配体制は崩壊に瀕し、新たな土地・人民支配が模索されるようになる。その中で、地方の有力者たちが土地の開墾を推進し、それは寄進地系荘園に発展する。また、彼らが武装することで、「武士」という新たな階層が誕生する。

4.<院政と平氏の台頭>

  平安後期、従来の摂関政治に代わって、上皇が実権を握る院政が始まる。白河から後白河まで3代の上皇が、法や先例にとらわれない専制的な支配を展開したのである。この間、武士の中央への進出が顕著となり、保元・平治の乱を経て、平氏政権が誕生する。


<学習のポイント

◎ 摂関政治を可能にしたものが、天皇との外戚関係であることを理解し、藤原北家がいかにしてその派遣を確立したかを、年代を追って整理しておこう。

◎ 「かな文字」の発明・利用は、平安中期の文化における国風化を推進した。国文学の発達は日本人の感情や感覚を豊かに伝えることとなった。古典の授業を通じて、このような作品の内容にも触れてみよう。

◎ 10世紀になって変質した古代国家の実態を、人から土地への支配の変遷という観点で整理しておこう。国司に広範な自由裁量を認めることで出現した体制が「王朝国家」である。

◎ 院政を支持した勢力としては、受領層、后妃・乳母の一族が挙げられる。これらの階層が重なり合って、いわゆる「院の近臣」を構成していたことを、当時の社会情勢と絡めて理解しておこう。

 

<教科指導の特徴>

<歴史の通念の盲点>

 藤原北家による摂関政治が確立するのは10世紀後半のことで、それ以後摂関家の権勢が絶頂に達したのは事実です。しかし、それがために従来の古代国家の支配機構が全て否定されたかと言えば、そうでもありません。摂関政治といえど、太政官を通じた伝統的な支配機構の上に、成立した政治形態です。こうした部分はこの後に成立した院政においても無視できません。
古典文学との関連>

 
高等学校の学習は、当然のことながら高度化しますが、単に知識が難解になるというだけでなく、周辺の学問との関連がより密接になるという点で、より深まりが出てくるのです。国風文化のポイントの一つは、女流文学の隆盛にあります。それらの背景にある歴史を考察すれば、藤原氏による摂関政治の展開、後宮の充実という状況が見えてきます。また平安貴族社会を学ぶことで、「蜻蛉日記」「枕草子」「紫式部日記」など当時の貴族社会を描いた作品も別の側面が見えてきます。
<歴史における横のつながり>

 
王朝国家体制が成立する中で、田堵の成長、開発領主の誕生、そして平行する形で武士の派生と、歴史の各面でいろいろな状況が進行していきます。教科書では、別の単元で学習するこれらの事項も、歴史的には同じ時代の様相なのです。これらを有機的に理解させることが、高等学校の教育には求められています。江戸取では、物事を表面的にとらえるのではなく、その背景を論理的に理解する教育をどの教科においても展開しています。
<文化の広がり>

 古代文化の特徴は、中国文化の強い影響、貴族文化・仏教文化の高い比重などが挙げられます。しかし、平安時代の末期になると、従来の古代文化の特徴を大きく変化させる状況が出てきます。平泉中尊寺や白水阿弥陀堂・富貴寺大堂に見られるような地方の武士によって支えられた文化、また『今昔物語集』に描かれた武士や庶民の姿です。次代の鎌倉文化につながる文化の新しい様相を理解することで、日本文化全体の発展傾向がつかめます。
<目次に戻る>