__A_GLOBE.GIF (19793 バイト)

__Airplane.gif (35480 バイト) 

__xmasmb.gif (2096 バイト)

地歴・公民のトップページ

平成11年度 

 早稲田大学  政治経済学部 

 世界史  

解答&解説

 

  次の文章は、1925年に魯迅が発表した作品 「 ふと思いつく 」 の一節である。これを読んで、下記A、Bの   問いに答えよ。

  以前、a 二十四史 ( 中国の歴代王朝を記録した歴史書 )は 「 相斫 ( 殺し合い ) の書 」 にすぎず、 「 b 独夫 ( 独裁者 ) の家譜 」 にすぎない、といった話を聞いて、まったくそのとおりだと思った。その後、自分で読んでみてはっきりわかった。まるでそんなものではない、ということが。 ( 中略 ) こころみに、1 五代 、c 南宋 、2 明末 のことを記したものを、3 今日の情況 と比較してみると、あまりにも似ているので、気も動転するほどだ。どうやら、時の流れは、わが中国についてだけは無関係であったらしい。 ( d 魯迅 『 華蓋集 』 )

A  下線部分 1 〜 3 にかかわる下記の問いに対して、最も適切な答えを、それぞれ一つ選び、その記号をマー   ク解答用紙に記せ。

  1  この時代前後の中国の周辺諸国について述べたものの中で、誤りを含むものはどれか。

イ  朝鮮では、10世紀に王建が新羅に代わって高麗を建国し、半島を統一して開城を首都とした。

ロ  ヴェトナムでは、中国の支配から独立し、11世紀に陳朝が成立して、大越国と称した。

ハ  ビルマ(ミャンマー)では、11世紀なかばにパガン朝が起こり、国土のほぼ全域を支配した。

ニ  雲南では、10世紀にチベット=ビルマ系の南詔国に代わって、タイ系の大理国がたてられた。

  2  この時代前後の出来事 a 〜 d を年代順に並べると、正しいものはどれか。

  a 張居正の政治改革      b マテオ=リッチの来航

  c 鄭成功の台湾占拠      d 金(後金)の建国

 イ d−a−c−b     ロ b−c−d−a

 ハ c−a−b−d     ニ a−b−d−c

  3  この状況に含まれると考えられるものはどれか。

イ  孫文は、ソ連の支援を受け入れて顧問を招き、国民党を改組して、第1次国共合作をおこなった。

ロ  蒋介石は、上海クーデタを起こして共産党員を弾圧し、南京に国民政府をたてて、その主席となった。

ハ  張作霖は、北伐軍に敗れて奉天に引きあげる帰途、日本の関東軍の策謀によって爆殺された。

ニ  毛沢東は、紅軍をひきいて活動し、江西省瑞金に中華ソヴィエト共和国をたてて、その主席となった。

B  下線部 a 〜 dにかかわる下記の問いに対して、最も適切な答えを、記述解答用紙に記せ。

a  これらの中で、第2番目に置かれる正史が編纂された王朝名を漢字で記せ。

b  その好例が『 史記 』 秦始皇帝本紀とされるが、 「 焚書」 を進言したといわれる丞相 ( 宰相 ) の氏    名を漢字で記せ。

c  金が支配する華北で、儒・仏・道3教を調和した道教の一派が開かれたが、その新道教の名称を漢字    で記せ。

d  この作家の作品『 狂人日記 』が最初に掲載された雑誌名を漢字で記せ。

解答&解説


  A  次の1〜4については,関係のないものを、また5については誤りを含むものを、それぞれ二つ選び、そ     の記号をマーク解答用紙に記せ。

  1  中国の南北朝

 イ 『 文選 』の編纂    ロ 永嘉の乱    ハ 雲崗石窟の造営    

 二 九品中正の開始   ホ 東魏の建国 

  2  セルジューク朝

 イ 十字軍    ロ スルタン   ハ 二ザーミーヤ学院   二 バイバルス   ホ コルドバ

  3  アクバル

 イ ヒンドゥー教徒の弾圧   ロ 首都アグラの建設    ハ 人頭税( ジズヤ )

 ニ 全国の土地の測量    ホ マラータ族の反乱

  4  雍正帝

 イ 軍機処を設置       ロ 「 四庫全書 」を編纂       ハ オイラート部を討伐

 ニ キャフタ条約を締結    ホ キリスト教の布教を全面禁止

  5  太平天国の乱

 イ  洪秀全は、上帝会( 拝上帝会 )という宗教結社を組織し、多数の信者を結集して、江西省で挙兵し1851     年、建国して太平天国を宣言した。

 ロ  太平天国は、貧農や流民などを加えつつ、しだいに勢力を拡大し、湖南をへて揚子江流域に進出して、    1853年、南京を占領して、ここを首都と定めた。

 ハ  太平天国は、「 滅満興漢 」と反キリスト教をスローガンとし、男女の平等、土地の均分、租税の軽減な    どを唱えて、民衆の支持を集めた。

 ニ  太平天国を撃破したのは、曽国藩ひきいる湘軍、李鴻章のひきいる淮軍など、郷勇とよばれる各地の     義勇軍であった。

 ホ  郷勇はウォードやゴードンのひきいる常勝軍の協力をえて、1864年、南京を奪回した結果、ここに太     平天国は滅んだ。

                            


  次の文章 a 〜 h は、それぞれ、ある人物を説明している。これを読んで、下記のA、Bの問いに答えよ。

  a  コルドバに生まれたこの人は、幼年時に弁論家の父親とともにローマに移り、修辞学や哲学を学んだ。後    にネロの師となり、『 幸福論 』など多数の著作を著した。

  b  この人は、ローマの人質となるが、1 スキピオ に厚遇され、彼に従って地中海各地を訪れた。後に、『 歴       史( ローマ史 ) 』を著し、そこで 2 政体循環史観論 提起した。

  c  この人は、アントニヌス=ピウスの養子になり、その後、皇帝の地位についた。ストア派の哲学者でもあり、    戦陣の中で『 自省録 』を書いた。

  d  この人は、 3 ムセイオン( 研究施設 )に留学、エウクレイデス( ユークリッド )の後継者たちから数学を学    び、浮体の原理を発見した。ポエニ戦争中にローマ人に殺された。  

  e  この人は、 4 モンテカシノ修道院 およびナポリ大学に学んだ後、パリ大学教授として活躍した。キリスト教    とアリストテレス哲学の調和を試み、『 哲学大全 』『 神学大全 』を著した。

  f  イギリス生まれのこの神学者は、カール大帝に招かれ、 5 7自由学科 を教育の基礎とした学校を設立し、    ラテン的・キリスト教的な古典復興の文化運動を指導した。

  g  コルドバに生まれたアラビア系のこの人は、 6 宮廷 の医師および裁判官として活躍したが、彼のアリスト    テレス哲学の注釈は、西欧思想に大きな影響を与えた。『 医学大全 』の著者。

  h  北イタリア出身のこの人は、カンタベリの大司教として活躍、王権に 7 聖職叙任権 を争った。「 スコラの    父 」と呼ばれる。

A  下記の問い1〜7について、最も適切な答えを一つ選び、その記号をマーク解答用紙に記せ。

  1   a 〜 d の人物を年代順に並べると、正しいものはどれか。

  イ b−d−a−c     ロ b−d−c−a     ハ c−d−a−b

  ニ c−d−b−a     ホ d−b−a−c     ヘ d−b−c−a

  2   e 〜 h の人物を年代順に並べると、正しいものはどれか。

  イ f−e−g−h     ロ f−e−h−g    ハ f−g−e−h

  ニ f−g−h−e     ホ f−h−e−g    ヘ f−h−g−e

  3   c の人物の時代の説明として、正しくないものはどれか。

イ  ローマは、激しくなるゲルマン人の侵入を阻止すべく、戦争をおこなった。

ロ  ローマは、東方のパルティアを討ち、アルメニア、メソポタミアの支配権を回復した。

ハ  ガンダーラ美術が隆盛した。

ニ  ヘレニズム文化を伝えたバクトリアが、トハラ人に滅ぼされた。

ホ  季節風を利用して、地中海から南インドにいたる交易圏が生まれていた。

  4  下線 1 の祖父で同名の人物がひきいる軍がカルタゴ軍に圧勝した戦いは、何といわれるか。

  イ  カンネーの戦い    ロ  ザマの戦い     ハ  イッソスの戦い   

  ニ  グラニコスの戦い    ホ  アルベラの戦い

  5  下線 5 に含まれていない学科はどれか。

  イ  弁証法   ロ  法学   ハ  天文   ニ  音楽   ホ  算術

  6  下線 6 は何という王朝か。

  イ   ムラービト朝 ロ ナスル朝 ハ  ムワッヒド朝 ニ  アッバース朝 ホ  後ウマイヤ朝

  7   下線 7 をめぐる教権と王権の闘争に、直接関係がないものはどれか。

  イ  ヴォルムス協約   ロ  グレゴリウス7世   ハ  ジョン王

  ニ  アナーニ事件    ホ  ハインリヒ4世 

B  下記の問い 1 〜 4 について、最も適切な答えを記述解答用紙に記せ。

 1  上記 d の人物が生まれた島の支配をめぐって、ローマとカルタゴの間で戦争が起こった。この島の名前    を記せ。

   2  下線 2 は、君主政 → 暴君政 → ( イ  ) → 寡頭政 → (ロ) → 衆愚政 → 君主政 という循環で   ある。この空欄 イ と ロ の政体を記せ。

 3   下線 3 のあった都市の名前を記せ。

 4  下線 4 を創設したのはだれか。人名を記せ。


  A  次の問い 1〜3 のなかに、誤りのないものがそれぞれ二つある。その記号をマーク解答用紙に記せ。

 1 イ  17世紀なかばに発生したフロンドの乱は、フランス王権の伸長に反対する三部会や高等法院を中       心とする貴族の反乱である。 

   ロ  ギーズ公によるユグノー殺害を契機としてはじまったフランスのユグノー戦争は、1598年、アンリ4世       がナントの勅令を発したことで終結した。

   ハ  ルイ14世は17世紀末、ナントの勅令を廃止して、絶対王政の強化にのり出した。この結果、多くのユ       グノーらが国外に脱出したが、王立マニュファクチュアなどが発達して、フランス経済は強化された。

   ニ  14世は、孫のフェリペをスペイン王位継承戦争を起こした。18世紀はじめのユトレヒト条約で、この孫       はスペイン国王フェリペ5世として正式に承認された。

   ホ  18世紀なかば、フランスのインド総督デュプレクスは、イギリスとのインド争奪戦において、一時は勝       利を獲得したが、結局は敗北した。

 2 イ  近代イギリス史上、「 非国教徒 」とは、イギリス国教会に属さないキリスト教徒すべてを指す言葉であ       るが、19世紀なかば以降になると、そこには解放されたユダヤ教徒まで含まれるようになった。

   ロ  1660年、王政復古によて王位についたイギリス国王のチャールズ2世は、その後、絶対王政への逆       行をはかり、法によらない逮捕や裁判を実施した。この結果、やがて議会は審査法を制定して、国王       のもろもろの行為を審査するようになった。

   ハ  名誉革命の結果、フランスに亡命したジェームズ2世に代わって、権利の宣言を承認した同国王の       娘メアリ2世と彼女の夫ウィリアム3世が、共同統治というかたちでイギリス王位についた。

   ニ  アン女王を最後として、イギリスのステュアート朝は断絶し、代わって登場したハノーヴァー朝のジョ       ージ1世は、英語を知らなかったため、即位後ただちにウォルポールを首相職に抜てきした。 

   ホ  東インド会社軍を指揮して、プラッシーの戦いでフランス軍を破ったクライヴは、イギリスのインド支       配を決定的にしたが、その後イギリス本国議会から汚職で追及され、自殺した。

 3 イ  スウェーデンの絶対主義化を推進した10世の孫にあたるカール12世は、デンマーク、ポーランド、ロ       シアなどを相手に北方戦争で活躍した。しかし、彼はポルタヴァの戦いでロシア軍に敗れた。

   ロ  オーストリアはオーストリア継承戦争後、プロイセンに対するふ復讐戦のため、三十年戦争以来の宿       敵フランスとの提携に成功し、プロイセンをヨーロッパ大陸内で孤立させた。

   ハ  プロイセンの支配層の供給源は、いわゆるユンカーであった。彼らの経済的基盤は、ライン川とエル       ベ川にはさまれた地域を中心に16世紀以降発達した、グーツヘルシャフトという農場領主制であった。

   ニ  マリア=テレジアの長男としてオーストリアの君主になったヨーゼフ2世は、

   ホ  18世紀末期、3回にわたって実施されたポーランドの分割で、ポーランドは消滅した。当初、分割の       主役となったのはロシアのエカチェリーナ2世、プロイセンのフリードリヒ2世、オーストリアのマリア=テ       レジアという3人の有名な啓蒙絶対君主であった。

B  次の文章中の a 〜 h に入れるべき最も適切な答を記述解答用紙に記せ。

 1  絶対王政を正当化した王権神授説を説いた人のなかで名高いのは、フランスの14世に仕えた (a ) と、   イギリスのチャールズ1世時代の (b ) らである。

 2  絶対王政の経済政策である重商主義は通常、その初期段階の(c ) と、その後の (d  ) に分けら  れる。

 3  絶対王政の権力基盤は (e ) 制と (f ) 制であったといわれる。しかしイギリスの場合は、後者に関   しては、 ( g ) という社会層の人々が (h ) という無給の地方行政職について、それを代行した。

 


  次の文章を読み、下記A、Bの問に答えよ。

 エジプトは、 1 古代文明発祥の地のひとつ であったが、7世紀からイスラム圏に入り、a イスラム文化の中心地のひとつ となった。それ以来、 2 スンナ派とシーア派 のさまざまな王朝がエジプトを支配してきた。やがて、オスマン帝国の衰退にともなってイギリスやフランスがこの地域に進出してくる。 3 ナポレオン=ボナパルトのエジプト遠征 以来の混乱の中で力を蓄えた b アルバニアの軍人 が、 c ギリシア独立運動 の鎮圧やアラビア半島の d イスラム新宗派 の討伐など、ある程度までオスマン帝国に協力しながら、結局はエジプトの自立をめざしてオスマン帝国と 4 2度の戦争 を起こし、世襲の総督位を認められるにいたった。事実上の自立を果たしたエジプトは、一定度の近代化を進め、スエズ運河も建設されたが、この運河ができたことでかえって戦略的地位がたかまって、5 運河会社の株を買収したイギリス がエジプトを支配化におくこととなった。その後は、イギリスからの自立をめざすことがエジプトにとっての課題となり、 6 第一次世界大戦後 に一応の独立は果たしたが、イギリスの影響力から完全に1952年のエジプト革命後のことであった。

A  下線部 1 〜 6 にかかわる下記の問いに対して、それぞれ適切な答え ( 問い4は一つ、その他の問いは二  つずつ ) を選び、その記号をマーク解答用紙に記せ。  

 1  古代エジプトについての以下の説明の中で、誤りを含むものを、二つ選べ。

イ  上エジプトの支配者メネスが初めて上下エジプトを統一したといわれる。

ロ  巨大ピラミッドを築いた古王国は遊牧民ヒクソスによって滅ぼされた。

ハ  中王国が首都としたのはナイル川中流域の首都テーベであった。

ニ  アメンホテプ4世はテル=エル=アマルナに遷都してアモン=ラー神の神官勢力と対抗した。

ホ  神聖文字 ( ヒエログリフ ) はおもに神官が用いたので神官文字ともいわれる。

 2  スンナ派とシーア派についての以下の説明の中で、誤りを含むものを、二つ選べ。

イ  シーア派は、暗殺された第4代カリフ、アリーとその子孫のみが正統なカリフであると主張した。

ロ  スンナ派とは預言者のスンナ ( 範例 ) に従う人びとのことであり、ウマイヤ朝の正統性を認めた。

ハ  アッバース朝は、シーア派の協力を得て権力を握ったので、シーア派の勢力拡大に努めた。

ニ  ファーティマ朝は、シーア派の中でもとくに過激なイスマイール派を国教とした。

ホ  アイユーブ朝は、シーア派の中でも比較的穏健な十二イマーム派を国教とした。

 3  ナポレオンがエジプト遠征をおこなう以前に起こったことを、二つ選べ。

イ  第2回対仏大同盟の結成

ロ  ナポレオンのイタリア遠征

ハ  フランス銀行の創立

ニ  アミアンの和約

ホ  総裁政府の樹立

 4  この戦争にはヨーロッパの列強も干渉した。2度目の戦争でエジプト側を支持して外交的な敗北を喫するこ   ととなったのは、どの国か。

イ  フランス ロ  イギリス ハ  ロシア  ニ  オーストリア ホ  プロイセン

 5  イギリスがスエズ運河会社も株を買収する以前に起こったことを、二つ選べ。

イ  ヴィクトリア女王のインド皇帝即位

ロ  イギリスの第3回選挙法改正

ハ  第2次ディズレーリ内閣の成立

ニ  第2次グラッドストーン内閣の成立

ホ  インド大反乱 ( シパーヒーの反乱 )

 6  第一次大戦の結果、イギリスは中近東のオスマン帝国領の多くを委任統治領として手に入れた。以下の中   近東地域のうち、イギリスの委任統治領にならなかったものを、二つ選べ。

 イ  パレスチナ ロ  レバノン ハ  シリア ニ  イラク ホ  トランス=ヨルダン

B  下線部分 a 〜 d にかかわる下記の問に対して、最も適切な答を記述解答用紙に記せ。

a  ファーティマ朝期にカイロに設立され、現在にいたるまでイスラム学の権威としての地位を保っている学院    の名称を記せ。

b  エジプト最後の王朝を築いた、この人物の名前を記せ。

c  西欧諸国の中にはギリシア独立を熱心に支持する人びとがあらわれた。そのような人びとのひとりで、ギリ    シア独立戦争に参加し、病死した詩人の名前を記せ。

d  現在のサウジアラビア王国の国教となっている、この宗派の名称を記せ。

 


  A  下記の問い 1 〜 6 に対して、最も適切な答を一つ選び、その記号をマーク解答用紙に記せ。

  1  19世紀の両シチリア王国と同時代の出来事でないものはどれか。

イ  ギリシア独立戦争が勃発する。

ロ  イギリスでチャーチスト運動が起こる。

ハ  ドイツ3月革命が勃発する。

ニ  フランス7月革命が勃発する。

ホ  普仏戦争が勃発する。

  2  サルデーニャ王国がプロンビエール密約でフランスに譲った地域はどれか。

イ  ニース ロ  コルシカ島  ハ  サルデーニャ島 ニ  ピエモンテ ホ  トリエステ

  3  独立後のアメリカが獲得した次の地域のうち最も早期に獲得したのはどれか。

イ  オレゴン地方  ロ  アラスカ地方  ハ  フロリダ地方

ニ  テキサス地方  ホ  ルイジアナ地方

  4  第一次世界大戦の参戦時期について誤っているものはどれか。

イ  アメリカは1917年に参戦した。

ロ  イタリアは1915年に参戦した。

ハ  日本は1914年に参戦した。

ニ  ルーマニアは1914年に参戦した。

ホ  トルコは1914年に参戦した。

  5  第一次世界大戦に関する国際的取り決めの説明として誤っているものはどれか。

イ  サイクス=ピコ協定はアジア領トルコの分割を約束した。

ロ  サン=ジェルマン条約はイタリアの南チロル領有を承認した。

ハ  フサイン=マクマホン協定 ( 書簡 ) はアラブ国家の独立を約束した。

ニ  フランスが主導したバルフォア宣言はパレスチナにユダヤ人国家を建設することを承認した。

ホ  アメリカはヴェルサイユ条約を批准しなかった。

  6  第二次世界大戦後のヨーロッパの出来事の説明として誤っているものはどれか。

イ  1945年のパリ協定で西ドイツとイタリアを含む西ヨーロッパ同盟が結成された。

ロ  1957年にローマ条約が調印された。

ハ  1961年に経済協力開発機構が発足した。

ニ  1969年にヨーロッパ共同体 ( EC ) が発足した。

ホ  1990年に東西両ドイツが統一した。

B  下記の問い a 〜 g に対して、それぞれ最も適切な答を記述解答用紙に記せ。

  a  イタリア王国初代の王はだれか。

  b  アドリア海沿岸をかつて支配していたヴェネツィアがイタリア王国に併合されたのは何年か。

  c  イタリア王国が 「 未回収のイタリア 」 を獲得したのは何年か。

  d  1890年にアメリカで制定された、独占を規制するための法律の提案者はだれか。

  e  排日条項を含む移民法をはじめて制定したときの大統領はだれか。

  f  量子力学の基礎理論を確立し、不確定性原理を発表したドイツの物理学者はだれか。

  g  ティトーとならんで第一回の非同盟諸国首脳会議を呼びかけたアジアの指導者ハだれか。

  

解答&解説