本姓は「卜部(うらべ)」。吉田神社の神官であったので、吉田兼好とも呼ばれます。宮中に仕えた時期もありますが、1308年、後二条天皇の崩御で出家し、隠者の生活に入ります。1352年までの生存は確認されていますが、生没年ともはっきりとはしていません。
『徒然草』は1330年から翌年に掛けて書かれたとされていますが、その後も補足・改訂がなされたと思われます。時代柄「仏教的な無常観」が現れていますが、逸話などを通して人間を考える部分など、豊富な内容に富んでいます。
年末恒例の『忠臣蔵』は芝居では大石蔵之介が大星由良之介、力が力哉という具合に本名をもじった人物名になっています。敵を討たれる吉良上野介が高師直(こうのもろのお)と、浪士達の主人である浅野内匠守が塩谷判官と、この二人だけは実際の人物とは関係のない名前になっています。実は二人とも『太平記』に登場する実在の人物なのです。高師直が塩谷判官の妻・顔世に横恋慕して恋文を出しますが、顔世は封も切らずに表に「小夜衣」と書いて返した。これは、
さなきだに重きが上の小夜衣わが夫ならでつまな重ねそ
という『新古今集』の歌で、夫以外のいうことは聞かないという返事。師直は、
返されし文と思へど仇人の手にふれけんと見ればうれしき
と詠んだ。これがきっかけとなり、夫である塩谷判官をいじめることになり、ついに松の廊下での刃傷となるのです。
実はこの最初の恋文を代筆したのが兼好なのです。『太平記』では塩谷判官が失脚しますが、仇討ちにはなりません。
高師直は楠正成の長男・正行を滅ぼしています。大修館書店の『国語要覧』を使っている生徒は『太平記』のページを見て下さい。この最後の戦いの場面が描かれています。