殿などのおはしまさで後・口語訳

k-kuchiba.gif (12684 バイト) 関白殿(道隆)などがお亡くなりになった後、世の中に事件が起こり、物騒がしくなって、中宮様は宮中にもお入りにならず、小二条という所、そこにいらっしゃるのだが、そこは何となく嫌な気分だったので、(私は)長く里に帰っていた。中宮様の御前のあたりが気がかりで、やはりじっとしてはいられなかった。
k-sion.gif (1462 バイト) 左中納言がおいでになってお話をなさる。「今日、中宮の御殿に参上すると、たいそう何となくしみじみとした気持ちでした。女房達の着物は裳や唐衣などが季節に合って、たるむようなこともなく趣深い様子でお仕えておりました。御簾の側のあいた所からのぞき込むと、八、九人ほど座って、朽葉(左の女性の着物の色・これを橙色に近づけた「黄朽葉」という異本もあります)の唐衣、薄紫の裳、紫苑色(右の色目)や萩(左下の色目)など、美しく並んでいたことです。御前の草がたいそう高く茂っているので、『どうして、これは茂っているのですか。かき払わせればよろしいのに』と言うと、『露を置かせてご覧になろうして、特別に(そのままにしているのです)』と宰相の君の声で答えた。(そのお考えを)趣深く感じたことです。『あの人(作者)の里住まいはたいそう情けないことです。こうした所にお住まいになっている折には、重要なことがあったとしても、必ずお側にお仕え申さなければならないと、(中宮様が)お思いになった甲斐もなく』等と、女房達が言いました。私がそのことをあなたにお話申し上げよと言うのでしょう。参上して御殿の様子をご覧なさい。しみじみとした場所の様子です。露台の前に植えられていた牡丹が、唐めいて趣がありますよ」などとおっしゃる。「さあ、どうでしょうか。人が私をにくいと思っていたので、私もその人がにくく思いましたので」とお返事申し上げた。「おっとりと構えていらっしゃる」などとお笑いになる。

k-kuchiba.gif (12684 バイト) 藤原の道隆が亡くなったのは995年4月。後ろ盾を亡くして、代わりに権力を伸ばしたのが道隆の弟であった道長。中宮定子は翌年3月に兄・伊周の二条邸に移り、5月には髪を下ろします。この記事は着物の色目から推察すると、その年の秋のことと思われます。華やかだった宮中の様子とはうって代わったわび住まいの様子を推察し申し上げる場面です。作者は道長とのつながりがあると噂され、他の女房達と気まずくなって里へ帰っていたのです。
 この後、中宮様からの手紙が来て、再び参上するまでが描かれます。

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