大鏡関連年表
紺で書かれた人物は藤原氏や宮中の勢力争いに関連の深い人物。姓のない人物は全て藤原氏です。紫は天皇、皇子。緑はその他の男、赤は女性です。
文学史関連で、大鏡には出ていない内容も含んでいます。
850 文徳天皇即位。(大鏡の記事はこの天皇から始まる)
899 時平左大臣。菅原道真右大臣。対立関係になる。(時平と道真)
901 道真太宰府に流される。
903 道真没。恨みを持った道真、雷神となって内裏を襲う。
905 紀貫之、『古今和歌集』を撰進。
909 道真没。
934 紀貫之、土佐守の任期を終えて帰郷。(『土佐日記』)
950前後 村上天皇の命令で梅を求め、紀貫之の娘が歌を詠む。(鶯宿梅)
955 道綱の母(『蜻蛉日記』の作者)、兼家と結婚。(日記は974年まで)
972 摂政・伊尹死去。兼通と兼家兄弟の対立となるが、兼通が関白となる。
977 兼通死去。兼家の位を下げ、関白は頼忠に。(兼通と兼家の争い)
984 花山天皇即位。道隆、道兼、道長による肝試し。道長だけが成功。
986 花山天皇出家。一条天皇即位し、兼家関白。(花山天皇の出家)
990 兼家没し、道隆摂政に。定子女御に入り、中宮となる。(清原元輔、没)
993 春、清少納言出仕。道隆関白。この頃「南院の競射」か。
995 道隆没。道兼関白になるも6日目に没。
東三条院(道長の姉、帝の母)、帝を説得し、道長に内覧、右大臣。
996 花山院と伊周・隆家の争い、伊周・隆家流罪、定子も出家、退宮。
道長、左大臣。定子、皇女を出産。
997 伊周・隆家、帰還(4月)
999 彰子、入内。定子、皇子を出産。
1000 定子を皇后とし、彰子が中宮に。
定子、第二皇女を出産するも死去。
1002 様々な人々の逸話が多い。(三舟の才等)
1003 和泉式部日記の恋。
1007 伊周策謀の噂に、道長御嶽参詣から急ぎ帰京、伊周と碁を打って和解。
1008 彰子、皇子を出産(紫式部日記に、道長の喜びがつづられている)
1011 一条天皇譲位、崩御。三条天皇即位。
1016 三条天皇譲位、後一条天皇即位。
1018 道長、娘の立后に当たり「この世をば」の歌を詠む。
1019 道長出家。(1027年没)
1025 雲林院菩提講で、若侍が大宅世継(190歳)、夏山繁樹(180歳)と会い、この物語が語り始められる。(『栄華物語』の記述は1028年まで)
972年の兼通と兼家の争いから、自分が実権を得るための藤原氏の内部闘争が繰り広げられます。結局は道長が自らの権力を不動のものにしますが、そのために従兄弟の伊周・隆家の権力を奪ったり、娘・彰子を中宮にするために、ライバルの定子に「皇后」というそれまで使われていない地位を付けたりしています(その後は「皇后」が天皇の妻の正式名称になりますが)。同じ時代を描いた『栄華物語』に比べ、そうした内部抗争をしっかり描かれ、批判精神に富んでいるだけ、『大鏡』の方が面白いという人もいます。
また、一条天皇の中宮に彰子を据えたように、三条天皇、後一条天皇にも自分の娘を中宮として政権安定を図り、それに成功しているといっていいでしょう。その自信に満ちあふれた道長の名高い歌を引いておきましょう。
この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることのなきと思へば