『帰去来辞』現代語訳

〔第一段〕

さあ(県令の職を辞して)帰ろう。田園はいまにも荒れ果てようとしているのだ。どうして帰らないでおられようか。(帰らないではいられない。)もはや自分で(自分の)心を(自分の)肉体に使用されるものとしてしまったのである。どうして恨み嘆いて悲しんでいれようか。(そんなことをしてはいられない。)過ぎ去ったことは諌めて改めることができないことを悟り、未来は追いかけることができることを知っている。本当に私は道には迷ったが、まだそれほど遠くまで行ったわけではない。今(役人を辞して)故郷に帰ることが正しくて、昨日までが間違っていたことを悟った。(今私の乗っている)舟はゆらゆら揺らぎながら軽く風を受けて進み、風が吹いて衣服をひらひらと舞い上げている。私はこれから先どのくらいの道のりかを旅人に問い、夜明けの光がまだかすかなのを残念に思っているのである。

〔第二段〕

やがて家の門と屋根が見えると、喜び走って家に向かう。召使が喜んで私を迎えてくれ、幼子が門で私を待っていてくれる。庭の三本の小道は荒れ始めてはいたが、松や菊はまだ残っている。幼子を連れて部屋に入ると、酒が酒樽いっぱいに満ちている。酒つぼと杯を引き寄せて、自分で酒をつぎ、庭の木の枝に目をやって顔をほころばせ、南側の窓に目をやって伸び伸びした気持ちになり、(自分の家の)膝を入れるくらいの小さな部屋が落ち着きやすいことをよく理解するのである。庭は毎日毎日歩き回るとその時々の趣を成し、門は設けてはあるがいっも閉ざして(他人との交渉を絶って)いる。杖をついて老いた身を助けながら気ままに歩き回ったり休んだりし、時には頭をあげてはあたりを自由に眺め回す。雲は無心に山あいからわきあがり、鳥は飛ぶのに疲れて自分の巣に帰っていくのを知っている。日の光が陰って薄暗く、(太陽が)今にも沈もうとするころに、私はたった一本だけ立っている松の木を撫でながら立ち去りにくくしているのである。

〔第三段〕

さあ帰ろう。世の中の人々との交際を絶とう。世の中と私とお互いに相手を忘れてしまおう。再び馬車に乗って出仕をして何を求めようか。(何も求めるものはない)。家族や親戚の心のこもった話を喜び、琴を演奏したり書物を読んだりすることを楽しんで自分の憂いを消すのである。(そうしているうちに)農夫が私に春がやって来たことを告げると、私は西の田畑で農業に励もうとする。時には幌を掛けた車の準備を命じて陸路を行き、時には一そうの小船に乗って出かける。奥深い谷を訪ね、また山道の険しい丘を越えていくと、木々は嬉しそうな様子で花をつけようとしており、(氷がとけて)泉はちょろちょろと流れ始めたばかりである。すべての物がこの春の季節を得て生き生きとしているのを喜びながら、私の生命がだんだんとおしまいになるのを感じている。

〔第四段〕

もうこれまでだ。この肉体をこの世の中にとどめることは、あとどれほどであろうか。(もはやどれほどもない。)どうして心を自然の成り行きに任せようとしないのか。(そうすべきである。)どうしてうろうろとしてどこかに行こうとするのか。(そんなことをしてもしょうがない。)金持ちになったり高い身分になったりすることは、私の望みではないし、仙人のいる不老不死の世界に行くことも期待できない。(ただ)よい時節を思って一人出掛け、時には、ついている杖を地面に突き立てて、野良仕事をしよう。東の丘に登っては、ゆるやかに歌をロずさみ、清らかな流れに 臨んでは、詩を作る。しばらくは自然の変化に身を任せて命の尽きるままにしよう。あの天命を楽しんで、またいったい何を疑おうか。(何も疑うものはないのである)。

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