日記文学について
土佐日記(作者:紀貫之):我が国最古の日記文学。承平4(934)年、土佐守であった作者が、任が解けて京へ帰るまでの55日間の記録。1日も欠けていないので、現在の我々の認識の「日記」に近いものがあります。「本文を読む」のページに冒頭部分が紹介してありますが、女性の立場で書かれ、当時女文字と呼ばれた仮名を使って書かれたものです。
女性に仮託して書いた理由についてはやはり仮名を使用出来ることでしょう。日記は漢文で書かれた備忘録のようなものでしたが、仮名で書くことで漢文よりも心に思ったことが表現出来るのです。土佐で亡くなった娘への思いを描くのに、女性である方が表現しやすいという面もあったと思われます。(ただし、後半になると明らかに男であることを示す表現も出て来ます。このことから、女になって書いたということに疑問を抱く人もいます。余談になりますので、見たい人は……→ここをクリック)
内容的には、土佐守時代に取り締まった海賊が報復しようとしているという噂におびえる内容があり、これと娘への追憶が中心となっています。
作者については別に解説がありますので、一度表紙に戻ってから参照して下さい。
この作品がきっかけとなって、仮名が認められ、仮名を使う女性達の文学が開花することになります。その平安期の女性による日記作品を挙げてみましょう。
蜻蛉日記(作者:藤原道綱母):10世紀後半に成立した、我が国初の女性による日記です。藤原兼家との結婚から道綱の誕生、一夫多妻制の女性の苦悩が描かれ、我が子の成長に心を託すようになるまでの、21年間にわたる女性の自叙伝といえる内容です。
和泉式部日記(作者:和泉式部):11世紀初頭に成立した作品。作者が愛された為尊親王の死後、その弟の敦道親王と愛し合うようになるまでの10ヶ月間が描かれます。和歌が作者の心の変化を見事に映し出す、恋愛物語風な味わいがある作品です。
紫式部日記(作者:紫式部):『源氏物語』の作者が、1008年の中宮彰子の出産を中心とした宮中日記です。同じ時代の女房達、和泉式部や清少納言の人物評が有名です。尚、彰子の父親はあの藤原道長であることはよく知られていますね。道長は『蜻蛉日記』の作者の夫・兼家の子供なのです。
更級日記(作者:菅原孝標女):11世紀半ばの成立。作者は道綱母の妹の娘です。『源氏物語』に憧れた幼女時代から、現実に目覚め、信仰生活に傾くようになる52歳までが描かれています。
いかがでしょうか、人物関係や作品の内容から、成立年代を整理するのも面白いものです。
をとこもすといふ日記といふ物
をゝむなもして心みむとてする
なりそれのとししはすのはつか
あまりひとひの日のいぬの時に
「本文を読む」のページの本文と比べてみて下さい。1行目の「男もすといふ」は現在読まれているものと意味の上での違いはありません。2行目の「女もして心みむ」はどうでしょう。「試みる」という動詞ですから、今我々が読んでいるのと同じ訳し方「女の私も書いて試そう」というのではよく分かりません。そこで、これを、「女文字で試みむ」と読むというのです。そうすると、「女文字である仮名でやってみよう」という意味になります。だから、貫之は最初から女が書くということは言っていないというのです。それなら、現在の文章も、「女文字でみむ」となって、ほぼ同じ意味になります。面白い説ですね。しかし、そうなると1行目の「男も」の「も」はどう解釈すればいいのでしょうか。1000年以上前に書かれたものが、今でもこうした疑問が投げかけられたり、研究が続けられているのは素晴らしいことだと思いませんか?